2000年度理工ジャーナル

ビッグアップルまるかじり(1)

 

―ニューヨーク滞在記―

 

  2000年4月より1年間、長期研究員としてニューヨーク・ポリテクニク大学で酵素重合に関する研究を行う機会を得ました。私自身の研究の専門分野とは少し異なるため悪戦苦闘しています。私の趣味の1つにホームページを作ることがありますが、ここニューヨークでも感じたことや思ったことをホームページにしてアップロードしていましたら、物質化学科・和田教授より理工ジャーナルに連載しないかという話をいただきました。ニューヨークという都市は確かに日本とは全く異なる空間ですので、私なりに感じたことをニューヨークに滞在中の今、書いてみたいと思います。なおホームページは現在も時々http://www.chem.ryukoku.ac.jp/~nakaoki/index2000.htmにアップロードしています。

 【プロローグ・出発前】

 龍谷大学には長期研究員というシステムがあり、教員が1年間、研究に集中できる機会が設けられています。2000年度は学科の了解も得られましたので私が長期研究員として研究をさせていただくことになりました。行くことが決まりますと次はどこに行くかということが問題になります。まず最初に私の専門分野である高分子固体構造を研究している研究機関が候補として思い浮かびました。ドイツ、アメリカ,イギリス、イタリアなどに著名な先生方がおられます。そういう所に行ってさらに自分の分野の研究を進めるというのも1つの道ではありました。しかし自分のフィールドの研究は文献を調べたりしてでも進めることができます。そこで思い切ってこれまでのフィールドとは異なる研究機関で研究してみようという考えが浮上してきました。幸いにして最近、私の研究の興味は色々な分野に及んでいましたので、まだ知識が不足している分野がいくつかありました。その中の1つが酵素です。酵素はアミノ酸残基がたくさんつながった高分子の1つですが、構造が複雑すぎるため私にとってはなかなか研究のとっかかりがつかない分野でした。流行を追うというのは私自身あまり好きではありませんがバイオ関係の研究は最近多いですし、環境を配慮したサイエンスということでテーマとしては時代背景と合致しています。

 私のイメージしている研究を行っている研究機関を探すために、この分野に詳しい人に聞いたり自分で論文を集めたりしました。その結果、アメリカ・マサチューセッツ大学のRichard Gross教授の行っている研究が最も魅力的でした。マサチューセッツ大学はドイツのマックスプランク研究所と並んで日本の高分子研究者が数多く留学しているところです。次のステップはどうやってGross教授とコンタクトするかということです。私はその時点で全くコネクションがありませんでした。そんな時ある研究会の懇親会でGross教授をよく知っているという京都工繊大の木村良晴先生とお会いできました。偶然ですがその会の2,3週間後にGross教授が国際学会で日本(京都)に来られるということでしたので直接話をしてみてはということになりました。‘99年の7月終わりに京都駅前の都ホテルで実際にお会いして話をしましたところ受け入れOKの返事をいただきました。しかし私はここでGross教授がニューヨーク・ポリテクニク大学に移ったことを知りました。同大学でHerman Mark Prof.という少し格上の教授なので移ったとのことでした。マサチューセッツといいますと大学の町ですのでアメリカ的な広々としたキャンパスで研究生活ができると思っていましたが、ニューヨークは大都市ですので少し特殊な環境です。しかしすでに受け入れをお願いした以上そんなことで考え直すわけにもいきません。その時の私のニューヨークに対するイメージはごみごみしていて危険というものでしたので1年間滞在して大丈夫かなという思いがありました。(そいういイメージの日本人も多いと思います)しかしとにかく予期しませんでしたがニューヨークに来ることになりました。

【ニューヨークシティについて】

 ニューヨークシティは言わずと知れたアメリカ東海岸の大都市で世界の金融・経済の中心地です。こちらの人はニューヨークシティのことを愛情を込めて“ビッグアップル”といいます。残念なことに関西国際空港からはニューヨークへの直行便がありませんので私はデトロイト経由で来ました。市内は5つの行政区に分かれていて、マンハッタン、ブルックリン、クィーンズ、ブロンクス、スタッテンアイランドがあります。東側がロングアイランドのナッソー郡、北側がウェストチェスター郡、西側がニュージャージー州で州が変わります。マンハッタンの道路は京都と同じように碁盤目状になっていますので住所を見ればすぐに目的地がわかるようになっています。東西に走る道路がストリートで南のダウンタウンから北のアップタウンへナンバーがついています。南北はアベニューで東から西へナンバーがついています。日本語ではストリートを“??丁目”、アベニューを“??街”と訳しています。有名な5番街は5th avenueの訳です。5th avenueより東側はEEast)、西側はWWest)と表示されます。例えば333E. 45th St.というアドレスですと45th street5th avenueから東へ333だけ(建物の数ではありません)行ったところということになります。

ニューヨークシティの地図。マンハッタン、ブロンクス、クィーンズ、ブルックリン、スタッテンアイランドの5つの区があります。

【生活の基盤】

 大きな大学ですと宿舎が用意されていたり長期滞在研究者に対応してもらえる事務があるそうですがポリテクニク大学はそんなに大きくありませんので自分で探さなければなりません。大学はブルックリンにありますがマンハッタンからかかっているブルックリンブリッジの近くですし、マンハッタンを通った地下鉄のほとんどが大学の近くを通りますので交通の便は非常にいいところです。住む家の探し方はいろいろありますが多分日本人の多くは日系の不動産屋に頼んでいるのではないでしょうか?学生さんや若い人なら日系の食料品店に行けば掲示板に部屋をシェアしませんかという張り紙がありますのでそれを見て決めるということもできます。しかし普通はニューヨークにきてすぐは何もわかりませんので不動産屋とわずかな日本で得た情報だけを頼りに家を探すことになると思います。そのときの私の知識ではマンハッタンは高いけれど比較的安全,ブルックリン、ブロンクスは危険、クィーンズはそこそこ、日本人の多いところならニュージャージー、ウェストチェスター、ロングアイランドのポートワシントンという感じでした。この原稿を書いている今(2000年7月)となってはニューヨークの事情もかなりわかってきましたので、全てが危険というのではなくどこなら大丈夫かということも大体見当がつくようになってきました。家族が多ければ郊外の1軒屋を借りるのもいいですが、通勤が大変ですので最終的にはマンハッタンに絞って家探しをしました。こちらでは日本のワンルームのことをstudioといい、2部屋を1 bed room 3部屋を2 bed roomといいます。広ければ広いほど家賃が高くなるのはどこも同じです。ここ数年アメリカは景気が良くて不動産も値上がりしてきているそうで、特にマンハッタンは物件が取り合いの状態です。私が見に行っていいかなと思ったところが次の日に確認するとすでに契約済みということもありました。最終的には私は1 bed roomを借りることができましたが家具なしでしたのでレンタルファニチャーで必要な家具をレンタルしました。また前に住んでいた人が日本人ではありませんでしたので土足で部屋を使っていました。こちらに住んでいる日本人は靴を脱いで部屋を使っているようですので私の場合も大掃除をしてから靴を脱ぐ日本的な使い方をしています。家賃、電話代、ケーブルテレビ代などの支払いは日本のように銀行口座から自動引き落としというのではなくて、小切手(チェック)に金額を書いて相手に郵送するシステムになっています。

  【ニューヨークでまず気がつくこと】

 ニューヨークの街を歩いていてまず気がつくことはたくさんの人種が歩いていることです。白人、黒人、ヒスパニック系、チャイニーズ、インド人・・・などなど。特にヒスパニック系は多くてスペイン語を話している人をたくさん見かけます。地下鉄の中の広告を見てもスペイン語をよく見かけますし、時々日本語、中国語、ハングル文字、その他の文字も見かけます。しかしよく言われるように人種のるつぼかというとそうでもなくて、一見混ざり合っているように見えますが決して均一に混ざり合ってはいなくて各人種で住む地域、仕事などに違いがあるようです。チャイナタウン、コリアタウン、リトルイタリ―などは有名ですし、日本人が多い地域とかギリシャ人が多い地域とかもあります。言葉の壁や宗教、社会的慣習、食習慣の違いがそうさせているように感じます。日本人はそんなに多くはありませんが時々街中で見かけます。よく歩道や地下鉄で日本語で話をしているのが聞こえてきます。またマンハッタンは観光客が多いためかどうか知りませんがよく道を聞かれたり今何時かと聞かれたりします。たくさんの人種が集まっていますので日本人がニューヨークに住んでいてもおかしいとは思わないからでしょうか?またニューヨーカーはせっかちと言われますが実際その通りです。歩くスピードは速いですし(私もせっかちで歩くスピードが速い方ですので時々ニューヨーカーを追い抜いていますが)横断歩道では歩行者は全く信号を守りません。車の流れが途切れると一斉に横断を始めます。またタクシー(イエローキャブ)も運転が荒くて時々危ないと感じます。しかし、ここまでではありませんがせっかちという点で大阪に似ているといわれます。ニューヨークは大阪の人には住みやすいのではという話をよく聞きます。

【ポリテクニク大学について】

 大学自体はあまり大きくありませんが、キャンパス自体はいくつかに分かれていて、私はブルックリンキャンパスに通っています。区役所や他の文教施設が集まったにぎやかなところにあります。学生はニューヨークを反映してたくさんの人種から構成されています。アジア系の学生もけっこうたくさんいます。5月が期末試験の時期だったようで連日図書館は学生で混んでいました。ノートのコピーが机の上に忘れているのを時々見かけました。このあたりの事情は日本と同じということでしょうか?しかし講義室をちらりと見たことがありますが寝ている学生はいないようでした。研究に関してはポリテクニク大学は高分子の分野では著名な先生がたくさん在籍されていましたので、現在でもこの大学出身という先生もたくさん活躍されています。Gross研究室については化学系の研究室の中でもアクティビティの高い方で研究員もたくさん所属しています。研究員は国際色豊かでインド人7人、中国人4人、アメリカ人、ブルガリア人、日本人(私のこと)が各1人です。研究室での公用語はもちろん英語ですが、普段はいろいろな言葉が飛び交っています。私はVisiting Scientist として滞在していますがその他は博士研究員(10人)と大学院生(3人)です。博士研究員にはもちろん給料が出ていますが、大学院生にも少しですが給料が出ているようです。予算は研究室から出ていますのでボスがどれだけ予算をとれるかが研究室のアクティビティに影響を与えているようです。大学には日本人も何人かいます。岡本教授、寺岡先生はこの大学に所属されていますし、他に日本から研究員として私を含めて4人滞在しています。日本人が少ないということもあり、昼を食べに行ったりしてよく行動を共にします。

ポリテクニク大学の正面玄関。

【ニューヨークの観光】

ニュ―ヨークの観光スポットはいくつかありますが、有名なところとしてはセントラルパーク、エンパイアステートビル、自由の女神があります。セントラルパークはマンハッタンのミッドタウンから少し北のところにあります。ここは観光地であると同時に市民の憩いの場でもあります。たくさんの人がのんびり散歩したりしています。中にはジョギング、ローラーグレード、競歩など様々に楽しんでいます。私も何回かジョギングに出かけましたが公園はものすごく広くて南から北の端まで行くだけで結構距離があり大変でした。エンパイアステートビルはニューヨークを象徴するビルですし、映画などにも時々登場します。古くはキングコングが登ったシーンで有名です。日暮れ時から夜にかけて展望台に登るとすばらしい景色を見ることができます。86階の展望台はバルコニーになっていて開放的なつくりになっていますので外の空気にふれることができます。またエレベーターが1台でピストン輸送のため混んでいますが102階の尖塔部分にも行くことができます。ここは非常に狭く、ガラス張りの空間ですので写真撮影には向かないと思います。自由の女神はニューヨークに来たら必ず訪れてみたいと思う観光地だと思います。ダウンタウンのバッテリーパークからリバティ島にフェリーで行くことができます。私は日曜日に行きましたので観光客でいっぱいでした。自由の女神の台座のところまではエレベーターもあり簡単に行けますが、クラウンのところに登るには早く行かないとクローズしてしまうようです。ビルにして22階分を登らなければならないそうですので、行かれる方は少し覚悟した方がいいかもしれません。

(つづく)    

セントラルパーク  

  エンパイアステートビルからの眺め。クライスラービルの方向です。  

エンパイアステートビル  

フェリーから撮った自由の女神