デービス日記(Final
2007年2月5日

 私は今この日記をサンフランシスコエアポートでチェックインを終え、睡魔と戦いながら書いています。ホームステイ先の部屋の片付け、お土産の購入、実験室の片付け、研究室の鍵を事務の人に返し、こっちのデータを修士論文用に加工したりしていてほとんど寝ることができなかった。最後にストローブ先生やドナさんにお別れの挨拶をしたかったが忙しいらしく時間が合わず、できなくて残念だ。これでは、心残りなので一回断ったが3月に中沖先生にお供してお礼を言うためと帰る寸前に実験をしたデータを渡すためにデービスに戻ってこようかとも思う。ストローブ先生とドナさんは私のような出来の悪い人間を見捨てずに指導してくださったので私はすごく感謝しております。

 そう思いながら、帰路についたのであるが、たくさんのトラブルがあったので報告したい。まず、私はサンフランシスコエアポートまでエアポーターを使わず来たのであるが、ホームスティ先からデービス駅まで友達の車で行く事にしていた。しかし、当日の昼に電話してきて「ごめん。いけなくなった。」と言ってきたのである。直前でキャンセルはやめてほしいものである。仕方ないのでタクシーで行こうかと思ったら、台湾人の友達が韓国人の車を持っているエクステンションの友達に電話してくれて奇跡的に無事デービス駅に着くことができた。(感謝)後、私の航空券(Eチケット)がオンラインチェックインできないのであやしいと思っていたので電話で確認したところ、行代理店のスッタッフの間違いで予約日時が確認書とキャセイパシフィック航空とで違っていたようだ。聞いたら予約が今日のはずなのに29日になっていた。今日絶対に帰らないとやばい事を説明したら日にちを変更してもらえた。(一安心)その時、普通に英語を話している自分に少し驚いた!!スタッフの人に話ではこういうことは良くあるらしい。Eチケットは確かに便利だがこういうこともあるので私は賛成できない。もし、デービスで英語力が上がってなかったら私はどうなっていたんだろう??後、チェックインの時に荷物の超過料金を取られるかと思ったが31.2kgで何とか踏ん張った。ところでデービス生活を終えてみて、私はやり遂げたというよりもやり残したといった感じである。しかしながら、データが出始めたのが12月の中旬昨日なのでやりたいことが全部出来なかった。でも、最低限のデータが出せて少しホットしています。来てすぐは英語もほとんど話せず、どうなる事かと思ったが台湾人のルームメイトや柔道部の連中のおかげで何とか話せるようになり、忙しい日々を送らせてもらった。それに悪い癖も直す事ができたと思う。台湾人の女の子に「話す時は目を見てしゃべれ!!」と言われたり、いろいろ怒られたのはいい経験になった。とにかく、デービスのみなさん、本当にありがとうございました。

デービス最高!!!!!!

これにてデービス生活の報告を終わりたいと思います。ありがとうございました。

今村直樹