デービス日記7
2006年10月8日
台湾人の苦悩

 先日、珍しく柔道部の部員から「今日の8時から練習するから絶対来てくれ。」という電話が携帯に無かったので、6時半に実験を終えて帰宅した。ホームスティ先のホストマザーの手料理が久しぶりに食べられる(いつも先月は夕食はいらないということを携帯電話で連絡していたので9月分の請求書を見るのが恐いです。)のと、エクステンションが同じでいつも一緒にいる台湾人(ウエスリー)と夕食時に話せるのと某酒造メーカーの社員の方で語学研修に来られているカズキさんからおいしそうな日本酒をいただいたので家に帰るのが楽しみである。いつも一緒にいるウエスリー(写真1)とはおそらく一生の付き合いになるであろう。帰宅し、夕食をウエスリーと一緒に食べ、楽しいひと時を過ごした。そして、夕食後エクステンションセンターでカズキさんからおいしいお酒をいただいたことを告げると「スーパーでつまみを買っておいたからぜひとも飲もう。」と言ってきたので、その日の10時から2人で晩酌をした。酒を飲み始めたころ、話はアメリカのこと、いろんな国の教育問題、それぞれの国のプロ野球のこと、その他いろいろを休むことなく話していたが、酔いがまわってくると、クラスの子で誰がタイプとか、ウエスリーの妹はかわいいけど誰か彼氏はいるのかとか、お互いの結婚の考えなどについてものすごく盛り上がりました。そして、「うちのクラスにもかわいい台湾人の女の子いるけど狙わないのか??」と聞いたところ、「あの女性は台湾北部出身で俺は台湾南部出身やから言葉の問題で付き合うのは難しい。」との事です。最初、何のことか理解できなかったのですが、すぐにウエスリーが日本と台湾の言語の問題の違いを教えてくれたので理解できた。日本の場合、関東と関西で多少の言葉の違いがありますが、お互い何を言っているかはっきりと分かります。しかしながら、台湾では北部と南部で日常的に使われている言葉が異なっているらしいのです。北部では日常的に中国語が使われていますが、南部では日常的に台湾語が使われているとのことです。勿論、南部の人も中国語は話せますが英語と同じような感覚らしいです。しかし、台湾南部出身の方は中学から高校の間のたった4年で中国語を0の状態からペラペラに話せるようトレーニングするらしくすごいと感じた。日本人は10年以上英語を学んでもペラペラに話せる人は少ないことを考えるとすごいと感じた。だから、ウエスリーの英語の上達速度は速く、最初は基本的なことしか話せなかったにも関わらず、2週間でこれを分かりやすく説明できるようになったのだから。私も負けないように英語を練習しないとすぐに抜かれてしまうと思った。そして、深夜3時まで永遠と話してお互い眠りについてしまった。おかげで次の日、2人とも学校に遅刻しそうになったが。

アラビア語について

 アラビア語は中東、北アフリカなど22カ国で話されているたいへん古い歴史があり、すばらしい言語である。私とウエスリーは、毎日お昼にヨルダン人(イサムー)にアラビア語を教えていただいています。(英語で!!)先日習ったことを書きたいのですが、日本で売られているパソコンでアラビア語をタイプできないので残念ですが。しかしながら、おそらくアラビア語は世界で一番難しいと思います。英語との共通点が日本語よりも無く、文字の切れ目が分かりにくく未知の発音がたくさん出てくるので頭の回線がショートしそうになります。でも、将来機会があれば英語よりもアラビア語を学びたいと現在思っています。後、「3月の卒業旅行にヨルダンに行こうかな。」と言ったら「俺は首都のアンマンにあるからもしもアンマンに来るのであれば俺の家に泊めてあげるよ。後、ヨルダン人は英語がみんなうまいからアラビア語できなくても心配いらないよ。」と言ってくれ、住所と地図をくれました。そのため、おそらく3月にサウジアラビア経由でヨルダンに行く予定なので研究室の人で一緒に行きたい人この指とまれ??3月にイスラエルの国境であるヨルダン川にも私は行ってみたいと思う。

エクステンションセンターのカザフスタン人

 知っておられる方もおられるかもしれないが、私は旧ソ連のカザフスタンマニアである。カザフスタンカザフスタンは100以上の民族を抱える他民族国家である。(※1参照) 運がいいのか偶然にもエクステンションセンターに5人のカザフスタン人が在籍している。私は、この通りのカザフスタンマニアなので話しかけたくてたまらないのであるが、クラスが違う上にカザフスタン人同士で固まっているのでなかなか話しかけにくい。人的環境破壊の象徴であるアラル海の問題や遊牧民のことについて聞きたいことがいっぱいあるのに聞けないのが残念だ。しかし、今日チャンスがあった。私が、ウエスリーと話している時に珍しくカザフスタン人が1人で歩いていたのである。しかも、奇跡的にウエスリーに話しかけてきた。ウエスリーはなまりがあるせいかそのカザフスタン人がなんと言っているか分かっていないようであったが、私には理解できた。どうやら、事務の人を探していてどこに行ったか聞きたかったようである。3時になったらその事務員が戻ってくるのを知っていたのでそれを教えてあげた。しかしながら、もうすぐ授業が始まるところだったので残念ながら話せなかった。チキュショー(もう日本ではブームが去ったかな??)いつか絶対に仲良くなってやる。

     1 カザフスタンはチンギス・ハーンやティムールに代表される遊牧民達が馬に乗り、走り回っていたシルクロードによって東西の文化が融合してきた。この地はもともと遊牧中心であったが、19世紀以降のロシア帝国の移民政策により、ヨーロッパ人の人口比率は高くなった。特に、スターリン時代にドイツ人、タタール人、朝鮮人などを国家の敵という汚名を着せて強制移住させたことでも有名である。また、戦後日本人捕虜達が強制労働に従事させられていたことはあまり知られていないが、カザフスタンにも科学アカデミーや水力発電所をはじめ、当時日本人が建設に従事した建物が数多くある。その際、数多くの日本人捕虜は凍死、事故、餓死などで命を落とした。カザフスタン郊外に日本人捕虜の墓(1箇所に6人が埋葬されているらしい)があるらしいが、訪れる人もほとんど無く手入れもあまりされていないようなので私もカザフスタンに行った際は花束でも買ってお参りしたいと考えている。

院生の歓迎パーティー

 この前、ケミカルエンジニアリングの新大学院生歓迎パーティーに参加させていただきました。最初、パーティーの輪に入れず、1人で飲んでいたら、「ストローブ先生がこっちに来てみんなと一緒に話そう。」といって初対面の院生を私に紹介してくれました。そのおかげで、3人と打ち解けることができ、大変楽しいひと時になりました。写真の前列(写真2参照)の3人はストローブ研の院生ですが、そのうちの2人は初対面でした。ストローブ先生は本当に素晴らしい先生です。週に1回はディスカッションのために時間を作ってくれますし、実験の方も丁寧に指導して下さるので毎日が楽しくてありません。また月曜日のエクステンションセンター終了後にディスカッションの予定なので頑張って準備をしたいと思います。